プロ野球 男道!

日本プロ野球界に生息する『おとこまえ』を発掘し、賞味するBlogです。
また、男を下げた選手を容赦なくムチ打つBlogでもあります。
【きょうろぐ】球界改革についてのファン意識調査に参加しました
実は今回は牛島監督【横浜】かハシケン【阪神】についての記事をアップしようと思っていたのですが、「きょうろぐ」さま主催の「球界改革についてのファン意識調査」に参加してみることにいたしました。普段きょうろぐさまへの記事協力は、「女の子のための『野球、ルール以前のモンダイ』」からさせていただいておりますが、内容が初心者向けとはいえないと判断したため、今回はこちらのブログから参加させていただきます。
尚、今回この調査に参加させていただいたことで、自分の考えを明確にし、なおかつまとめられたという大きな収穫がございました。ここにきょうろぐ運営に当たられているしけたろうHCに心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。
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| 鳴尾浜小町 | 小町の考え | 23:16 | comments(1) | trackbacks(2) |
末はメジャーか、讀賣か
今や日本人選手がメジャーリーグで活躍してもさほど珍しくないと言えるほど、メジャーへ行く選手が増えました。このことについてわたくしたちファンはどう捉えたらよいのでしょうか。もちろん、わたくしはファンのひとりであって、ファンの代表ではございませんので、一般論というよりはわたくしがどう捉えるかということになります。

日本人選手がメジャーを目指すことが好意的に受け止められるようになったのはいつ頃からでしょうか。野茂やイチローが渡米した頃は半ば自虐的に「通用するわけがない」「裏切り者」と批判的な空気でした。ところがそのふたりに加えて松井秀までがメジャーで大活躍すると、一転して「メジャーなにするものぞ」と強気になり、その反面「メジャーは日本野球よりレベルが上、プロとして目指したい気持ちになるのは当たり前」という意見も出てきました。どちらの捉え方も一応理解できます。

話は変わりますが、現在日本プロ野球界のさまざまな規格を「国際規格」に合わせようという動きがございます。使用球の統一(飛ばないとされるメジャーの基準に合わせる)に始まって、ボールカウントの順番まで変えては(SB→BS)という話まであります。しかしこれらは「国際規格」というより、メジャー規格というべきもので、日本以外の野球が盛んな国では単にメジャーに追随する形をとっているだけのようです。
日本のようにいわばメジャーから独り立ちした形での「野球」を確立してきた「先進国」での規格がこうも無視されるのは面白くございません。「プロ野球設立70年」の歴史は決して伊達ではないはずです。にもかかわらずこの発言力のなさはなんでしょう。
日本プロ野球も国内のみならず、世界に通用するプロスポーツとしての自覚が必要でありましょう。しかしそれは必ずしもメジャーに追随することを意味いたしません。日本人選手の中にもメジャーで十分通用する選手がいる、そのようなことを誇りに思ってどうするというのでしょう。もちろん、彼らを選手として賞賛すべきではございます。ですが、その選手の後ろには彼を支え育ててきた日本の野球界というものがあるはずです。そこを誇りに思わない限り、今後もメジャー指向の選手は後を絶つことがないでしょう。

日本プロ野球界は昨年の再編騒動を待つまでもなく、さまざまな問題を抱えております。これらの中には先日阪神タイガース星野SDもおっしゃっていたように、「野茂騒動」が起こった時点で改善されるべきであった問題も含まれております。そしてそれらが放置された結果、膿みが吹き出すようにわき起こった昨年の騒動。
プロ野球存亡の危機に及んで選手会が動きました。「ファンの為にも……」を錦の御旗に球団数減少を辛くも防いだわけでございます。(わたくしは磯部【元近鉄、現楽天】の「ぼくらは1リーグ制に反対したわけじゃない、合併を1年間凍結してほしかっただけなんだ」という言葉が印象に残っております。)その際、「選手も痛みを」というようなことが言われましたが、大方がこれを全体的な年俸の引き下げと捉えました。
ところがオフに入り契約更改が始まると、日本一に輝いた西武ライオンズをはじめ、保留者が例年規模で続出いたしました。福留【中日】など、更改までに6回もの交渉を行い、井川や上原はメジャー行きを訴えて事実上保留状態です。
わたくしは以前年俸査定に哲学をに書きました通り、年俸の金額はファンが納得できるような基準で配分される分にはいくら高騰してもかまわないと思っており、「痛み」というのは別のものであると考えます。(それについては改めてまとめてみるつもりでございます。)
ファンの不満は慢性化、潜在化し、挙げ句「一流選手がメジャーを目指すのは日本の野球界を見限っているからだ」などという意見まで噴出するにいたっております。実際には日本プロ野球界の一翼を担う「プロ野球選手」がそのような自縄自縛に陥ってはどうしようもございません。

少し前まではFA権獲得後、大方の選手が目指す先は讀賣ジャイアンツでした。それがメジャーも視野に入れてもよい(メジャーも視野に入ってきたと言いますか)ことになると、今度はこぞってメジャーを目指すようになりました。ではなぜ彼らはメジャーを目指すのでしょうか。理由として彼らの口から語られるのは「夢」「向上心を満たすため」「より高いレベルの野球環境でプレイしたい」ということです。ここでわたくしなぞは素朴な疑問を持たざるを得ないのです。
日本で誰も追随しえない記録を打ち立てるのと、メジャーでレギュラーを獲得するのとでは、どちらが難易度が上なのか……。
要は日本一の選手になるのと、アメリカで並の選手になるのとではどちらが難しいのか、ということです。もちろん、メジャーを目指す選手たちはメジャーでも一番を目指すつもりでしょうが、日本でもベストとは言えない選手がメジャーでNo.1を目指すということに現実味があるのでしょうか。もし単にメジャーリーガーとしてのステイタスが欲しいだけだとしたら、ファンの支持を得るのはもっと難しいことでしょう。だからこそ上のような理由が語られるのです。川上憲伸はそれを「逃げ」だと喝破いたしました。

ベテラン選手の場合、「これまで日本球界によく貢献した、褒美としてアメリカでやりたいことをやって来い」といったニュアンスで快く送り出す論調も聞かれます。これでは体よく追い出したようなものだと思うのは穿ち過ぎでしょうか。上原ふたたびでも書きましたが、藪がこの年で(今年37歳)でメジャー行きを決心した理由として、メジャーリーガーの選手生命の長さを挙げていました。日本では実際の選手の実力より、年齢で判断される傾向にあるということでしょう。

誤解をなさらないようにしていただきたいのですが、わたくしはなにがなんでもメジャー移籍はダメだと申しているのではございません。現にわたくし、近鉄入団当時から野茂の熱烈なファンでございまして、彼がメジャー行きを明言したときはショックであると同時に多いに期待もしたものです。決して「裏切り」だとも、「逃げ」だとも思いませんでした。彼は日本プロ野球界に喧嘩を売って(売らされて)、きっちりケリをつけて(もう二度と戻って来ないことを誓って)メジャーへ行ったのです。わたくしは当時必死で自分の中で気持ちの整理をつけようとしたものでございます。そして彼を「日本のプロ野球選手」ではなく、「メジャーリーガー」として見る決意を固めたのであります。(順調に行けば本当は当時オリックスの長谷川の方が野茂より早くメジャー入りしていたかもしれなかったそうです。)

いつものようにとりとめがなくなってまいりましたが、わたくしとしてはさして覚悟もなくメジャー、メジャーと言う選手は「おとこまえ」とは言えない、と結論いたしたいと存じます。結局それかい、とおっしゃらないでください、これこそが当ブログの存在意義なのでありますから……。
| 鳴尾浜小町 | 小町の考え | 22:11 | comments(6) | trackbacks(0) |
年俸査定に哲学を
このたびはおとこまえ話ではございません。わたくし鳴尾浜小町が以前からつらつらと考え続けてきたことについて書いてみようと存じます。テーマは「年俸とファン」です。

そも、年俸とはなにか? わたくしはそこに単なる「球団への貢献に応じて選手に支払われる報酬」以上のものがなければならないと考えます。それを仮に哲学と呼びますが、ポリシーと呼んでもよいし、信念と言ってもかまいません。
わたくしたちファンが「○○は年俸が高すぎる」「あれだけの活躍をしている○○の年俸が安すぎる」などと言うときの基準はおそらく雰囲気です。わたくしたちは年俸の査定基準を知っているわけではございませんし、選手の貢献度を正確に導き出して金額に換算するすべもございません。しかし、むしろそれでよいではありませんか。ファンとはセンチメンタルな存在です。だからこそ「バックスクリーン三連発」に郷愁を覚えたり、「10.19」に繰り返し涙を流すのです。
井川や上原の騒動が起こったときも「もう応援でけへん」「失望した」という声がファンから上がっても、それはある意味起こるべきして起こった反応でそれこそが「ファン」と言えるでしょう。
わたくしはその「ファンの感情」が査定内容に盛り込まれてもよいのではないかと考えるのです。

週刊ベースボール1月31日号に元西武・旧ダイエー球団代表の坂井保之氏のインタビューが掲載されていました。

選手に払うのは会社のお金じゃないのです。ファンが払ってくれたお金を、ファンをしびれさせた選手から順に、その“しびれ代”をファンに代わって私が払う。そしたら「ファンのしびれ代をどうやって分かるんですか」という選手がいたから、「キミたちは野球をやるとき、ボールを見ているだろう。私はスタンドに神経を配ってる。見るところが違う」と答えた。(31ページ 1〜2段目)


わたくしがそうあってほしいと思っていたお話でした。球場で入場料を払うとき、もしこの一部が選手の年俸になるとしたら、○○選手にあげてほしい。そういう気持ちを汲み取ってもらえるような査定であれば、少なくともファンとしてのわたくしは充分納得できるのです。
ところが実際にはそういう哲学を、あるいはそれに類する哲学を持つ球団は少なく、むしろ選手の方がその哲学を求めているふしさえあります。

千葉ロッテマリーンズの黒木はこの契約更改で、自ら提示額からさらに1000万円減額するように求めました。中日ドラゴンズの憲伸は前年比ほぼ倍増の提示金額を保留して周囲をヒヤヒヤさせました。一見まったく正反対の行為に見えるふたりですが、彼らには年俸に対する確固たる哲学があったのです。
黒木は今季完全復活をかけて年俸を下げることで自分を追い込もうとしたのでしょう。憲伸は金額ではなく、その金額を算出するに至った経緯を質したのです。
どちらも直接ファンという言葉を発したわけではございませんが、その行為はファンにも十分受け入れられるものであります。

もう一度坂井氏のインタビューを引用いたします。

つまり私が言いたいのは、年俸とはなんなのかということです。
(中略)
選手と契約する目的は、選手リストに名前を載せることではなく、グラウンドでいい働きをしてもらうことでしょう。いい働きというのは、2つあります。数値としての働き。もうひとつは存在としての働き。(30ページ 最下段)

私は登板数の少ないピッチャーにも、年俸を上げた経験があるんです。それは何かというと左のリリーフ投手。いい左がベンチにいるだけで、相手は左の代打を起用しにくい。そんなこと、よくあるでしょう。つまり何もしないでブルペンで肩を作ってるだけで無言のプレッシャーを相手に与えて、その試合を有利に展開させるんですよ。
オフの契約更改で私が「あの試合に勝ちをもたらしたのはキミがブルペンにいたからだ。数値にしたら0.5勝ぐらいの価値があるんだよ。これはキミの誇りだぞ」と言うと、「そこまで見ててくれたんですか! よーし、これから僕は左の抑え一本で行きます」となりますよ。(30〜31ページにかけて)


感動体質のわたくしとしては、後の方のお話にいたく感銘をうけたわけでございますが、これこそが坂井氏の持っておられる哲学でございましょう。
嶋【広島】の年俸が前年比550%アップした査定については誰しもが拍手喝采を送りました。そこに哲学を感じたからです。

わたくしたちファンも、「年俸はシーズン中の成績(数値)を元にして割り出されるもの」という、無機質で無哲学な考え方に慣らされたせいか、数値で野球を見てしまう習慣がついてしまっているのではないでしょうか。
今年は数値を気にせずに楽しめる野球に期待したいものでございます。

この次は「メジャー移籍」についての考えをまとめたく存じます。

※この記事はカネシゲタカシの野球と漫画☆夢日記「続・ジャイアンツ上原投手の移籍問題を考える〜少し長めのコメント・レス」中、カネシゲタカシさんの野球ファンとしての想いが語られている箇所を読んでこちらにまとめてみる気になったものでございます。
| 鳴尾浜小町 | 小町の考え | 11:17 | comments(32) | trackbacks(6) |


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