2005.01.25 Tuesday
福留問題について |
阪神の井川、巨人の上原、そして中日の福留。最近では3つとも後ろに「問題」という言葉が続きますね。
「福留問題」も最初は今とはまるでニュアンスが違っていました。昨年11月19日、第一回目の契約更改交渉が持たれましたが、その席で福留は開口一番、「きょうはサインはしませんから」と宣言。そして1時間に渡る交渉の中で彼が要求したのは「ナゴヤドーム」入場料の値下げ。佐伯貴弘【横浜】が契約更改時に要求してあっと言わせたことはまだ記憶に新しいので、二番煎じととれないこともありませんが、よい話だとは思ったものです。そして宣言通り保留して交渉は終わりました。 第二回目の交渉は1ヶ月以上もたった12月28日。このとき初めて球団から金額が提示されました。2億円と言われています。昨シーズンの成績から見て本人も納得できない金額ではなかったにもかかわらず、彼は保留して越年が決定しました。理由は4番を担ってきたプライドだそうです。希望金額との差はそれほど深刻になるほどではないと、この時点では言っていました。 第3回目はハワイ自主トレが終わった1月17日に行われました。このとき福留は「意地、プライドと言っているだけでなく、僕自身の資料で、分かりやすくしてみようと」A4版サイズの用紙4枚に今季成績、五輪ならびに負傷により欠場した試合に出場したと仮定した成績、さらに他球団の4番クラスの打者の成績と年俸をまとめて提出しました。本人は「あくまで参考資料」としながらも、4番の責務の重要性と負傷するまでの間の成績の再評価を求めたそうです。 第4回目は1月21日。この日は前回提出された「福留リポート」に対する球団側の評価が説明されただけで金額の新たな提示はありませんでした。 「金だけじゃなく、気持ちの問題もある。極端な話『お疲れさま』の一言で変わることもある。言葉ひとつで柔らかくもなれば、硬くもなります」(福留) その通りです。金額の問題だけではない、と言いながら他球団の選手の年俸までリポートに盛り込んでは、球団の態度も硬くなるでしょう。 ここでわたくしはもう一つのドラゴンズの契約更改にまつわる記事を思い出しました。川上憲伸です。憲伸は昨年12月24日に第一回目の交渉に臨み、ほぼ倍増の提示金額に対して保留しました。結局本人の希望もあって3日後の27日、二回目の交渉が行われ、このときに前回の交渉後の言葉通りサインして無事更改を終えました。 最初の交渉の際、提示金額2億1000万円に対して希望金額と数千万円の差額があるとして保留したと報道されました。ところが後の記事で、提示金額は最初2億2000万円で二回目の交渉でアップした金額は1000万円だったと明かされました。 憲伸は保留した理由として「金額も大事だけど、今年は言葉の評価がほしい。査定内容です」といい、前回交渉時に球団から出された評価は17勝に対してだけだったことに反発したものと思われます。特に巨人戦での好投を重視しており、球団側も納得し巨人戦の特別査定を盛り込んだことで一件落着しました。 おそらく福留は交渉下手なのでしょう。保留の理由もそのたびに後付けのような印象がございます。調停と言う事態を避ける為には、来季の約束(3割30本100打点につきいくらのボーナス等)を取り付けるなどして譲歩が必要でしょう。もちろん球団側の査定なるものの正当性がいかほどなのか、わたくしには知る由もございませんが。 来季福留がおとこをあげる為には、今年の査定をばねにしてチームを日本一に導き、「今年勝てたのはウッズが入団したからじゃない、福留がいたからだ」と言われることでしょう。 |