2005.02.20 Sunday
わたくしが川藤幸三を愛する理由 |
ミスタータイガースとは誰か? おそらく多くの方が「掛布雅之氏」と答えるでしょう。もちろんそれ以前には藤村富美男、村山実、田淵幸一という名前が並ぶのでありましょうが、わたくしなら先の質問にこう答えるでしょう。
「ミスタータイガースとは川藤幸三氏である」と。 ではミスタータイガースとはどのような選手でありましょうか? 一般的な解釈ではおそらく、強くチームを引っ張る力を持つ選手でしょう。故藤村・田淵・掛布三氏は豪快なホームランバッター、故村山氏は0.98という驚異の防御率を残した名投手でございました。それらと比べて十分見劣りする(……)川藤氏がなぜわたくしにとって「ミスタータイガース」なのか。
告白いたしますとわたくし、実は子供の頃はアンチ巨人・アンチ阪神で、それは多分に父親のトラキチぶりに起因するのですが、いくら掛布氏の下敷きを使っていようと、タイガースの野球帽をかぶって学校に行っていようと心の中では阪神なんぞ大嫌いだったのです。したがって、今となっては往年のタイガースの選手については後になって伝え聞く話でしか存じ上げないのです。(ちなみに父の影響で、当時のわたくしにとって阪神を代表する選手は田淵幸一氏でした。)
当然、川藤氏の華麗なる現役時代の数々の伝説を直接知っているわけでもございません。ですが、引退後メディアに頻出(?)するようになってからの彼の言動は、わたくしの目を引くに十分な魅力を持っておりました。 川藤氏に対する一般的な評価は ・精神論ばかり ・たいした活躍をした選手だったわけでもないのに解説がえらそうだ ・何を言っているのかよくわからないことがある といったところでしょうか。あくまでわたくしが感じるところ、ではございますが。もちろん高く評価する声もございましょうが、「川藤」という言葉が嘲笑まじりに話されることが少なくないと感じます。 玉木正之の著書『タイガースへの鎮魂歌(レクイエム)』にこんな一節がございます。 「ほんま川藤いうんはええ男やで」 わたくしの知り得ない、現役時代の川藤氏を端的に表現するならこのような感じなのでしょうね。また、 ……二死満塁で三球三振しても、「今度打ちゃええんやろ」という表情で胸を張っていた川藤幸三的なノリ…… 少なくとも今のタイガースにこのような選手は見当たりません。わたくしの父が「ダメトラや」と言いながら、TVの前で夢中になって見ていた頃のタイガースのイメージはちょうどこのような感じでした。幼かったわたくしは「そんなにあかんたれな球団、応援せなんだらええのに」と思ったものでございます。しかし、あかんたれだから、弱いから応援するのですよね。そしてタイガースというチームも「今度勝ちゃええんやろ」的な態度であると、父の言動から感じておりました。 だからこそ、わたくしは川藤氏が「一番(いっちゃん)タイガース的」な「ミスタータイガース」だと思うのでありましょう。 さて、川藤氏を巡る評価ですが、解説では精神論ばかり言って実際的なことを言わないというのは果たしてマイナス評価と言えるでしょうか。確かに「努力と根性」、ついでに「横文字ばっかり使わんと」は彼のキーワードです。しかし、スマートな近代野球に足りないものこそが「精神論」なのではないでしょうか。 もちろんかつてのように、例えば投手なら中2日、3日はざらで1シーズン30勝も可能なほどの過酷なローテーションで働かされていた根性の時代が理想というわけではありません。現在の、中6日程度のゆったりとしたローテーションで、選手生命を永らえさせるやり方の方がよほど理にかなっています。ですが、それにともなって選手に甘えが見え隠れするのをファンは見逃してはいないと思うのです。そしてそれが高騰する年俸に対する反感へとつながっているという推理は強引すぎるでしょうか? 川藤氏はよく「思いっきりやったらええんや!」というようなことをおっしゃいます。一見投げやりなコメントに見えますが、その本当に意味するところは「思いっきりやったら必ず壁にぶつかる。その壁を乗り越えてこそ、一流の選手にもなれるちゅうもんや」だと、わたくしは理解するのです。 では、自分の現役時代のことを差し置いてえらそうな解説をする、というのはどうなのでしょう。本当にたいした選手ではなかったのでしょうか? 川藤幸三(かわとう こうぞう) 1949年7月5日福井県生まれ 1968年、若狭高校からドラフト9位で内野手として阪神タイガースに入団 1973年、外野手に転向 1978〜81年まで、代打専門であるにもかかわらず打率3割をキープ 1983年、引退勧告を受けるも、「年俸はいくらでもいいから、もう1年野球をさせてくれ」と、勧告を撤回させ推定年俸600万円でプレーすることに。このころから「浪花の春団治」と呼ばれるようになる。 1985年、阪神タイガース優勝、吉田監督に続いて胴上げされる 1986年、吉田監督の推薦で初のオールスター出場を果たす この年引退、さらにこのシーズン自己最多の5本塁打を記録 (伝説のプレーヤー内「お勧めコラム1(八木裕)」 他を参照) 彼はいわゆる「記憶に残る選手」だったのです。そしてなおかつ多くの支持を得、年俸の足しにとカンパすら集められたと言いますから、それだけでも名選手と言えるでしょう。わたくしにとっては、えらそうにし足りないくらいです。 何を言っているのか分からない、というのはほとんど言いがかりのように思われます。「川藤語」と揶揄されることもあるようですが、それは聞く側が聞く耳を持たないことが原因だと思います。 昨年まで阪神でプレーしていた藪は、公私に渡って川藤氏を慕っていたといいます。彼の背番号4は川藤氏の後を継いだものです。1月23日放送の「週刊トラトラタイガース」でお二人の対談が取り上げられていましたが、印象に残ったのが二人の間の信頼関係の深さです。信頼関係というのはお互いの理解の上に成り立つものですから、藪は川藤氏を、川藤氏は藪を理解しているということでしょう。藪に理解できてわれわれにできないとすれば、われわれ聞く側に問題があることは明らかです。 川藤氏はよく「横文字を使うな」と言いますが、「分からない」のはむしろ概念の多数を外来語で表そうとするわたくしたちなのかもしれません。 このたびは全力で川藤賛歌を綴ってまいりました。なにもそないにムキにならいでも…と思われるかもしれませんね。ですが実際、彼のおとこまえぶりにはクラクラしてしまうのです。 今後、川藤論は封印しようと思います。今後もし、彼のような選手が現れたらそのときに「昔川藤幸三という選手がいてね……」と思い切り語っていやがられようかと思っております。果たしてそのような機会が訪れるのでありましょうか? |