今や日本人選手がメジャーリーグで活躍してもさほど珍しくないと言えるほど、メジャーへ行く選手が増えました。このことについてわたくしたちファンはどう捉えたらよいのでしょうか。もちろん、わたくしはファンのひとりであって、ファンの代表ではございませんので、一般論というよりはわたくしがどう捉えるかということになります。
日本人選手がメジャーを目指すことが好意的に受け止められるようになったのはいつ頃からでしょうか。野茂やイチローが渡米した頃は半ば自虐的に「通用するわけがない」「裏切り者」と批判的な空気でした。ところがそのふたりに加えて松井秀までがメジャーで大活躍すると、一転して「メジャーなにするものぞ」と強気になり、その反面「メジャーは日本野球よりレベルが上、プロとして目指したい気持ちになるのは当たり前」という意見も出てきました。どちらの捉え方も一応理解できます。
話は変わりますが、現在日本プロ野球界のさまざまな規格を「国際規格」に合わせようという動きがございます。使用球の統一(飛ばないとされるメジャーの基準に合わせる)に始まって、ボールカウントの順番まで変えては(SB→BS)という話まであります。しかしこれらは「国際規格」というより、メジャー規格というべきもので、日本以外の野球が盛んな国では単にメジャーに追随する形をとっているだけのようです。
日本のようにいわばメジャーから独り立ちした形での「野球」を確立してきた「先進国」での規格がこうも無視されるのは面白くございません。「プロ野球設立70年」の歴史は決して伊達ではないはずです。にもかかわらずこの発言力のなさはなんでしょう。
日本プロ野球も国内のみならず、世界に通用するプロスポーツとしての自覚が必要でありましょう。しかしそれは必ずしもメジャーに追随することを意味いたしません。日本人選手の中にもメジャーで十分通用する選手がいる、そのようなことを誇りに思ってどうするというのでしょう。もちろん、彼らを選手として賞賛すべきではございます。ですが、その選手の後ろには彼を支え育ててきた日本の野球界というものがあるはずです。そこを誇りに思わない限り、今後もメジャー指向の選手は後を絶つことがないでしょう。
日本プロ野球界は昨年の再編騒動を待つまでもなく、さまざまな問題を抱えております。これらの中には先日阪神タイガース星野SDもおっしゃっていたように、「野茂騒動」が起こった時点で改善されるべきであった問題も含まれております。そしてそれらが放置された結果、膿みが吹き出すようにわき起こった昨年の騒動。
プロ野球存亡の危機に及んで選手会が動きました。「ファンの為にも……」を錦の御旗に球団数減少を辛くも防いだわけでございます。(わたくしは磯部【元近鉄、現楽天】の「ぼくらは1リーグ制に反対したわけじゃない、合併を1年間凍結してほしかっただけなんだ」という言葉が印象に残っております。)その際、「選手も痛みを」というようなことが言われましたが、大方がこれを全体的な年俸の引き下げと捉えました。
ところがオフに入り契約更改が始まると、日本一に輝いた西武ライオンズをはじめ、保留者が例年規模で続出いたしました。福留【中日】など、更改までに6回もの交渉を行い、井川や上原はメジャー行きを訴えて事実上保留状態です。
わたくしは以前
年俸査定に哲学をに書きました通り、年俸の金額はファンが納得できるような基準で配分される分にはいくら高騰してもかまわないと思っており、「痛み」というのは別のものであると考えます。(それについては改めてまとめてみるつもりでございます。)
ファンの不満は慢性化、潜在化し、挙げ句「一流選手がメジャーを目指すのは日本の野球界を見限っているからだ」などという意見まで噴出するにいたっております。実際には日本プロ野球界の一翼を担う「プロ野球選手」がそのような自縄自縛に陥ってはどうしようもございません。
少し前まではFA権獲得後、大方の選手が目指す先は讀賣ジャイアンツでした。それがメジャーも視野に入れてもよい(メジャーも視野に入ってきたと言いますか)ことになると、今度はこぞってメジャーを目指すようになりました。ではなぜ彼らはメジャーを目指すのでしょうか。理由として彼らの口から語られるのは「夢」「向上心を満たすため」「より高いレベルの野球環境でプレイしたい」ということです。ここでわたくしなぞは素朴な疑問を持たざるを得ないのです。
日本で誰も追随しえない記録を打ち立てるのと、メジャーでレギュラーを獲得するのとでは、どちらが難易度が上なのか……。
要は日本一の選手になるのと、アメリカで並の選手になるのとではどちらが難しいのか、ということです。もちろん、メジャーを目指す選手たちはメジャーでも一番を目指すつもりでしょうが、日本でもベストとは言えない選手がメジャーでNo.1を目指すということに現実味があるのでしょうか。もし単にメジャーリーガーとしてのステイタスが欲しいだけだとしたら、ファンの支持を得るのはもっと難しいことでしょう。だからこそ上のような理由が語られるのです。川上憲伸はそれを「逃げ」だと喝破いたしました。
ベテラン選手の場合、「これまで日本球界によく貢献した、褒美としてアメリカでやりたいことをやって来い」といったニュアンスで快く送り出す論調も聞かれます。これでは体よく追い出したようなものだと思うのは穿ち過ぎでしょうか。
上原ふたたびでも書きましたが、藪がこの年で(今年37歳)でメジャー行きを決心した理由として、メジャーリーガーの選手生命の長さを挙げていました。日本では実際の選手の実力より、年齢で判断される傾向にあるということでしょう。
誤解をなさらないようにしていただきたいのですが、わたくしはなにがなんでもメジャー移籍はダメだと申しているのではございません。現にわたくし、近鉄入団当時から野茂の熱烈なファンでございまして、彼がメジャー行きを明言したときはショックであると同時に多いに期待もしたものです。決して「裏切り」だとも、「逃げ」だとも思いませんでした。彼は日本プロ野球界に喧嘩を売って(売らされて)、きっちりケリをつけて(もう二度と戻って来ないことを誓って)メジャーへ行ったのです。わたくしは当時必死で自分の中で気持ちの整理をつけようとしたものでございます。そして彼を「日本のプロ野球選手」ではなく、「メジャーリーガー」として見る決意を固めたのであります。(順調に行けば本当は当時オリックスの長谷川の方が野茂より早くメジャー入りしていたかもしれなかったそうです。)
いつものようにとりとめがなくなってまいりましたが、わたくしとしてはさして覚悟もなくメジャー、メジャーと言う選手は「おとこまえ」とは言えない、と結論いたしたいと存じます。結局それかい、とおっしゃらないでください、これこそが当ブログの存在意義なのでありますから……。