2005.02.02 Wednesday
年俸査定に哲学を |
このたびはおとこまえ話ではございません。わたくし鳴尾浜小町が以前からつらつらと考え続けてきたことについて書いてみようと存じます。テーマは「年俸とファン」です。
そも、年俸とはなにか? わたくしはそこに単なる「球団への貢献に応じて選手に支払われる報酬」以上のものがなければならないと考えます。それを仮に哲学と呼びますが、ポリシーと呼んでもよいし、信念と言ってもかまいません。 わたくしたちファンが「○○は年俸が高すぎる」「あれだけの活躍をしている○○の年俸が安すぎる」などと言うときの基準はおそらく雰囲気です。わたくしたちは年俸の査定基準を知っているわけではございませんし、選手の貢献度を正確に導き出して金額に換算するすべもございません。しかし、むしろそれでよいではありませんか。ファンとはセンチメンタルな存在です。だからこそ「バックスクリーン三連発」に郷愁を覚えたり、「10.19」に繰り返し涙を流すのです。 井川や上原の騒動が起こったときも「もう応援でけへん」「失望した」という声がファンから上がっても、それはある意味起こるべきして起こった反応でそれこそが「ファン」と言えるでしょう。 わたくしはその「ファンの感情」が査定内容に盛り込まれてもよいのではないかと考えるのです。 週刊ベースボール1月31日号に元西武・旧ダイエー球団代表の坂井保之氏のインタビューが掲載されていました。 選手に払うのは会社のお金じゃないのです。ファンが払ってくれたお金を、ファンをしびれさせた選手から順に、その“しびれ代”をファンに代わって私が払う。そしたら「ファンのしびれ代をどうやって分かるんですか」という選手がいたから、「キミたちは野球をやるとき、ボールを見ているだろう。私はスタンドに神経を配ってる。見るところが違う」と答えた。(31ページ 1〜2段目) わたくしがそうあってほしいと思っていたお話でした。球場で入場料を払うとき、もしこの一部が選手の年俸になるとしたら、○○選手にあげてほしい。そういう気持ちを汲み取ってもらえるような査定であれば、少なくともファンとしてのわたくしは充分納得できるのです。 ところが実際にはそういう哲学を、あるいはそれに類する哲学を持つ球団は少なく、むしろ選手の方がその哲学を求めているふしさえあります。 千葉ロッテマリーンズの黒木はこの契約更改で、自ら提示額からさらに1000万円減額するように求めました。中日ドラゴンズの憲伸は前年比ほぼ倍増の提示金額を保留して周囲をヒヤヒヤさせました。一見まったく正反対の行為に見えるふたりですが、彼らには年俸に対する確固たる哲学があったのです。 黒木は今季完全復活をかけて年俸を下げることで自分を追い込もうとしたのでしょう。憲伸は金額ではなく、その金額を算出するに至った経緯を質したのです。 どちらも直接ファンという言葉を発したわけではございませんが、その行為はファンにも十分受け入れられるものであります。 もう一度坂井氏のインタビューを引用いたします。 つまり私が言いたいのは、年俸とはなんなのかということです。 感動体質のわたくしとしては、後の方のお話にいたく感銘をうけたわけでございますが、これこそが坂井氏の持っておられる哲学でございましょう。 嶋【広島】の年俸が前年比550%アップした査定については誰しもが拍手喝采を送りました。そこに哲学を感じたからです。 わたくしたちファンも、「年俸はシーズン中の成績(数値)を元にして割り出されるもの」という、無機質で無哲学な考え方に慣らされたせいか、数値で野球を見てしまう習慣がついてしまっているのではないでしょうか。 今年は数値を気にせずに楽しめる野球に期待したいものでございます。 この次は「メジャー移籍」についての考えをまとめたく存じます。 ※この記事はカネシゲタカシの野球と漫画☆夢日記の「続・ジャイアンツ上原投手の移籍問題を考える〜少し長めのコメント・レス」中、カネシゲタカシさんの野球ファンとしての想いが語られている箇所を読んでこちらにまとめてみる気になったものでございます。 |